2)よい漕法を求めて!
1)大先輩より一押し名言頂きました:
『一艇ありて一人なし』 これは日本ボート界で 古く戦前から語り伝えられる 名言で “この一言でボートのすべてを言い表していると思っています”との事でした。ホームページの言葉に使わせて頂きました。
3)60回と云う節目の神戸戦で、
悔しいです、惨敗‼ (facebookでの往復より!=若いOBと話せる事、嬉しく感じました!=)
本日の、神戸戦、全レースほぼ完敗、現役4回生が、こんな経験をして競争の実社会に出る!
どうのこうのという声も聞くが、やはり、練習不足は見え見え、神戸OBからの締めの言葉に「ぜひ切磋琢磨を!」と全ての参加者の面前で言われて、感じました、「市大さん練習して神戸戦に来て下さい!」という言葉だと!
現役、OB/OB全員が考えるべき事です、こんな恥ずかしいことはない、まともな練習しないで対戦するのは相手に対して失礼なことだと、私は思う。 皆さんはどう思いますか?
40数年ぶりにオールを持ちながら、何と悔しいことか!
福岡 伸之 私は森脇様が愕然とされた戦績の時代に現役として漕いでいました。
支援してくださる方々に結果で応えられない申し訳なさと共に、様々な制約の中で必死に練習しているつもりでいました。
ただ、引退後、京大などの選手と情報交換する中で設備、環境面、それらを背景にした練習量の差に愕然としたのを覚えています。
ボートは個人の力量以上に組織力の戦いになっていると感じます。
いちOBとして継続して支援していきたいと思います。
1森脇 郁朗 私の時代も今も装備や設備の差は有っても、環境はそんなに差は無かったのではと思います。 女性部員は無かったですから、皆指咥えて我慢しながら、むしろ環境は劣悪(?)、ホテル街を通りながら通い其の妄想をボートのオールにぶつけた分、迫力が有ったのかもですね!6月4日 23:08 · いいね! · 1
2森脇 郁朗 勝つには勝つ理由が、負けるには負ける理由が、勉学、就活、アルバイト(金銭の苦労)・・・其れは市大の学生だけに負わされた苦難ではないと思います。 どの大学にも似たり寄ったりで、新入生の時は皆同じ筈どこから差が出て来るのか、其れがポイントではと思います。
3福岡君の言う様に其れは組織力に基づくものですが、組織運営にはいろんな考え方が有り、私は、特に指導力(OB/OG、上級生)に有るのではと思います。 設備は私達のときバーベルは町の鉄工所での切り出した円盤、向かい合わせのバック台での綱引き等々、「勝ちたい!」を実現するための工夫と知恵は無限です。 私は昭和43年度の関戦優勝体験時の整調ですが、今から思えば、環境は劣悪、しかし、キャプテン(佐野)は勝つためにはと其れしか頭に無く、引きづられ工学部と云う事も有り落第しました。が、今から思えばそんな事よりやり遂げた事で得られたものの大きさを思うと、佐野に感謝しています。 ボート部は人生の縮図、実社会への予行演習の場、人生に与えるインパクトの大きさ、其れを教えてあげられなかったのが悔しいですね! この経験は、何物にも代え難い、そんな経験出来る場が歴史有る市大ボートです。 其の意味がいつの間にか薄れていた様ですが、途切れたら戻りません、今からでも盛り返せます。 私は口やかましいジジイ連中に、福岡君には若い平成の苦渋を味わった人達に、夫々の体験を基に、縁有り参加してくれたこれからの現役がボートやって良かった〜と思える体験をしてもらい、涙と汗が無駄にならない様な支援をして上げたいですね! これからも、宜しく!
4) 日本ボート協会を手伝って感じたこと 2012年5月8日
平成21年卒 吉田 雄一
「ボート競技をもっと多くの人に知ってもらうにはどうすればいいか。」
ボート競技の競技力を向上させるには、ボートの競技人口を増やすことが必要不可欠です。つまり、ボートの知名度は、そのまま競技力に反映されるということです。広報委員会では、全国で行われる大会の取材活動を中心に、マスコミ対応とホームページの整備などを行いながら、この課題に取り組んでいます。その活動の中で感じたことをまとめました。
まず、日本ボート協会の活動の中で強く感じたのは、地方ごとに競技人口の大きな偏りがあるということです。ボートのメッカといえば戸田ボートコースですが、ひとたび地方に目を移すと、『○○県ボート協会』といったホームページすらない県もあるほど、ボートが浸透していないところが多々あります。日本には1万4千もの一級河川があるにも関わらず、です。この偏りが地方ボートの指導者不足となり、関東圏以外のボート界が成長できない要因を作っているのではないでしょうか。
以上のことから、全国から優秀な選手が出てくる環境を少しでも整備することが、これからのボート界を盛り上げることにつながると考えています。
現役の皆さんは、毎日「どんな練習をすれば次の試合に勝てるのか」を模索しながら練習に励んでいらっしゃると思います。私の現役時代もそうでしたが、コーチの立てたメニューをきっちりとこなす人、独学で練習する人、コーチの練習方針に疑問をもちながら練習する人、など様々です。現在はコーチング体制も整いつつあり、効果も出てきているのではないかとは思いますが、現役自身が「どうすれば艇速を上げられるか」を考えなければ、本当の成長はありません。
JARAのHPの整備などを担当する私は、「艇速を上げる方法を知りたくても、知るところが分らない」ということを改善しようと考えています。例えばもし、インターネット上でいい練習方法や漕ぎをわかりやすく知ることができれば、皆さんが思う「どんな練習をするべきなのか?」に答える一助になるはずです。そう私は考え、JARAのHPから、『おやじスカラー』こと氏家さんのブログなどに簡単にリンクできるホームページを作成するつもりです。もし、何かいいアイデアがあれば、是非私までご連絡ください。
今年も新入生が入部し、市大ボート部もさらに盛り上がっていることでしょう。新歓用のPVも素晴らしいですね。どんな新入生も、一度は見に行きたいと思える内容になっていると思います。今後ももっとボート部を盛り上げて、頑張ってください。戸田でお会いできることを楽しみにしています。
5) 「絆 ・・・ それはボート讃歌!」
紅橈会原稿
昭和49年卒、井上友次郎
未曾有の東日本大震災から一年を経て、昨年から「絆」と言う言葉をよく耳にするようになりました。先日、東京地区紅橈会の懇親会に久々に参加させていただき楽しいひと時を過ごし、改めて「私にとってのボートの絆」を思い起こしました。
私にとっての4年間はきわめて幸運なボート生活でした。基本的に「いまいちの運動神経」である私個人にとっては、望むべくもない戦績で4年間を過ごすことができたからです。4回生での全日本選手権以外、全ての公式戦で決勝に出ることができたことです。
しかしながら、その4年間はずっとボートが「いやでいやで!」(気持ちの面では)いつも機会があれば逃げ出そうとばかりしていました。年間160日前後も合宿し、台風でも来ない限り練習はあったし、風邪をひいても38度までは乗船を強いられました。手の皮もお尻の皮のボロボロはあたりまえで、お尻周りには巨大な「おでき」が繰り返しでき、紅顔の美少年の「美尻」も瞬く間にぼこぼこでした。破れた手の皮から「ばい菌」が入り「破傷風」と言われた時は、大げさですが「死の恐怖」も感じました。練習は厳しく朝5時に起き、南郷の洗い堰きから「パドル」で琵琶湖大橋まで行ったこともありました。死にそうな思いで合宿所にたどり着いたのは11時ごろだったことは忘れようにも忘れられません。
新入生の時「ボート乗ったことあるか?」と誘われ、ボートを降りると「入る入らないは別にして、歓迎会があるからけーへんか?おもろいで!」。山陰の山の中から出てきた田舎者は、一発でだまされ(先輩すみません)、結果(練習は)いやいやながらも4年間が過ぎました。自分を納得させ、言っていたことは「ボートは大嫌いやけどボート部の雰囲気と仲間は最高や!」。昭和45年入部の11人(故森田勇君は1年先輩ながらも入部は2回生で同期扱い)は、入学と同時に希望して入部した朝山君と高井君以外はまあ、多かれ少なかれ似たような感じで入部したと思います。それでも、このメンバーが一人も欠けることなく、卒業までボート部に在籍し続け、今も親交を維持できているのは、「この苦しみ、悩み、何よりたまにある宴会での大盛り上がりを共有できたことによる『絆』」であったと思います。
こんな雰囲気を作り上げ、盛り上げ支えていただいたのが、高校の大先輩である故人の熊谷さんを始め、故人の関口さんを頂点とした紅橈会の多くの諸先輩でありました。
メンバー一人が欠けても進まない。「高度なユニフォミティ」を確立しなければ勝てない。そのための単調で激しく、厳しい練習。それを将に物心両面で支えるため、美味しい「めしづくり」と「金集め」に奔走するチーフをはじめとするマネジャー。そんなスポーツだからこそ、私が逃げ出せなかった大好きな「ボート部」があったのか!今改めて実感する「ボート」というスポーツの素晴らしさです。
早いもので、昨年還暦を過ぎ、第二の人生を模索しているところではありますが、10年前の50歳の時に会社のメンバーで平均年齢55歳のクルーを組み、加古川レガッタで、ボート生活3つ目のおまけの「銅メダル」(因みに優勝は市大現役クルーでした)を獲得し、感動しました。この「絆」をさらに強め、「残された人生でもう一花咲かすぞぉ!」という気分で過ごしております。紅橈会の皆さん今後ともよろしくお願いします。
6) 「紅橈会通信 寄稿」
H19卒 森田智博
昨年11月より日本ボート協会の強化委員になりました平成19年卒の森田智博です。
この度、ボート部紅橈会の縁があって日本ボート協会のお手伝いをさせていただいておりますが、当初お話をいただいた際は自分が務まるのかと不安な思いがありました。しかし、大学時代に非常にお世話になったボート部に少しでも恩返しができればという想いで引き受けさせていただきました。
現在は日本ボート協会の中の強化委員会に所属しております。日本代表に関する全ての内容に関係しており、選考、トレーニング、大会派遣を主なミッションとする日本ボート協会でも中心的な委員会です。その中で私は広報の役割で、広報委員会と連携しながら情報発信をしています。もともと日本代表の広報活動は広報委員会が行っていましたが、より現場に近い情報発信のニーズから強化委員会内部にも広報のポジションが新設されました。広報委員会には後輩の吉田雄一さんと廣岡和さんがいるので、互いに連携してよりよい情報発信をできればと考えています。具体的な最近の仕事としてはfacebookで「Crew Japan(ボート日本代表)のページ」を立ち上げ、韓国・忠州で行われたロンドン五輪アジア大陸最終予選を現地で観戦して結果などを発信しました。無事にロンドン五輪の出場権を男子・女子軽量級ダブルスカル、女子シングルスカルで獲得できましたので、facebookのアカウントをお持ちの方は「Crew Japan(ボート日本代表)のページ」の「いいね!」をぜひクリックしてください。ボートはまだまだマイナーなスポーツですが、このような活動を通じて少しでもファンを増やし、ボート部入部希望者も増えればと思いますのでご協力よろしくお願いします。
当初はボート部への恩返しのつもりで始めた日本ボート協会の仕事ですが、東京在住ということもあり、なかなかお役に立てていないので申し訳なく思っております。当面は可能な限り情報をお伝えすることと、さらには様々な大学や企業の選手・コーチ・OBOGの方々と交流を深め、その繋がりを何らかの形で市大へ還元することができればと考えています。
現役の皆さんには広い視野を持つことによって多くの刺激を受け、上を目指していって欲しいと思います。私の現役時代はまだまだ内向きの体質もあり、私自身例えば日本代表がどのように選ばれているか正直まったく知りませんでした。実際には門戸は広く開かれておりU23の選考合宿には高校からボートをやっていた中央大学や早稲田大学の選手だけでなく一橋大学の選手も参加しています。
今後の現役の皆さまのご活躍を期待しています。
(以後も、是非、皆さんからのお話しを!)